正解ではなく妥当。
ふわっとしてていい言葉ですね。
僕らが作るもの(アプリとかwebサービス)にはだいたい二つの妥当性があります。
一つは経済のレイヤーにある妥当性。
簡単にいうと仕様通りに動くかどうか。
妥当でなければお金がもらえません。
こちらはお客さんとともに詰めていくもので、いろんなトレードオフの上に成り立ちます。
職能別の作業単位(責任)に明確に分けて考えれるものです。
もう一つは質(クオリティ?)のレイヤーにある妥当性。
これは自分らが作ったものとして世に出していいのかという判断。
経済レイヤーの妥当性とはあまり関係がありません。
自分らと作るものとの関係です。
主に全体としての納まりという所なので
コンテンツ、挙動、デザイン、コンセプト等々をまるっと考えて仕上げていく必要があります。
経済レイヤーの妥当性と関係がないとはいえ質のレイヤーにある妥当性をちゃんとしようとすると
やはり時間やお金(工数とよばれるもの)はかかります。なので僕らはここで戦いますが、
それだと食ってけない論が正論すぎて、反論できません。
そんな日々に慣れすぎると質のレイヤーの妥当性を忘れてしまいます。
経済レイヤーに負けてしまいそうになるとき。
そんな時にはどうするか。
困ったときは歴史に勇気をもらいましょう。
アーツ・アンド・クラフツ
150年くらい前、産業革命のときに経済ともの作りとの関係性に声をあげた人たちがいました
その代表が ラスキン と モリス です。
両者とも工業デザイナーであり、経済学者です。
簡単に言うと、
作り手に対して:儲かるからってイケてないものを世にだすんじゃねえ!
買い手に対して:安いからってイケてないものを買うんじゃねえ!
ということをやってました。(完全に僕のかってな翻訳です。)
現代の工業デザイナーの本でもちょこちょこ紹介されていて、
デザイン学 向井周太郎
デザインのデザイン 原研哉
ものの周辺に息づいている繊細な感受性を踏みつけにして前に進もうとする機械生産に「我慢ならぬ!」と鼻息荒くも意義を唱えた代表者がラスキンとモリスである。彼らの活動は乱暴で性急な時代変革に対する警鐘でありブーイングであった
〜中略〜
理屈ではなく具体的な制作物を通して、不器用な機械生産によるふぬけた造形物にアンチテーゼを示そうとした。
出典:デザインのデザイン
原研哉さんの本ではこんな感じに表現されています。
たぶん産業革命によって離れてしまった経済のレイヤーを質のレイヤーに近づけていくような活動だったのではないでしょうか。
産業革命という時代的にノリノリな波に逆らったこんな人たちがいたということだけでも嬉しいですね。
僕らの業種
ここでいう機械はまさに機械のことなのですが、
作るものを仕様の固まりとしてとらえ、チケットに切り分けることで理解したつもりになり、
仕様を実装することに夢中で、最終的なアウトプットに関心がなく、黙々とチケットを回していく開発プロセスは、機械みたいなもんだな、と思ったりします。
この辺の、今の経済レイヤーのなかでの作ることへのスタンスみたいなやつは工業デザイナーの方が書かれた本によく現れていて、
けっこう面白いです。
原研哉さん、山中俊治さん、深澤直人さん とか。
また、まとめてみようと思います。
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